原点サラマンカでのデビューと伝説の始まり
あらゆる偉大な物語も小さな一歩から始まります。セルタの絶対的象徴であるイアゴ・アスパスの輝かしいキャリアが産声を上げたのは、今から18年以上前の2008年6月8日、旧UDサラマンカの本拠地エル・エルマンティコでした。⚽️✨
当時のセルタは2部リーグ(セグンダ・ディビシオン)に所属し、勝ち点から見放された厳しいシーズンを送っていたほか、クラブ全体が民事再生手続き(更生法)の適用承認を目前に控えるという深刻な経営危機と混乱の渦中にありました。その第41節サラマンカ戦で、当時20歳のカンテラーノだったイアゴ・アスパスはオレンジ色のセカンドユニフォームを身に纏い、先発出場として60分間ピッチに立ちプロデビューを果たしました(試合は1-3で敗戦)。🍊
その歴史的な日に同じピッチで対戦相手としてイアゴ・アスパスと対峙していたクリスティアン・ブストス(現モーリタニア代表アシスタントコーチ)と、チームメイトとしてピッチにいたミチュ(現ブルゴスCFスポーツディレクター)が当時の鮮明な記憶を振り返っています。
ミチュは『あの当時はクラブにとって本当に苦しい時期だった。勝つことよりも負けることの方が多くてシーズン全体の思い出としては決して良いものではなかったけれど、僕やイアゴのように下部組織から上がってきた若手にとってはプロサッカーの世界へ飛び込む大きなチャンスになり、多くの仲間がそのチャンスを掴み取った。当時は更生法が何を意味するのかもよく分かっていなくて、ただセルタという素晴らしいクラブでプロとしてプレーできる一生の夢に夢中だった』と回想しています。💭
ブストスも『当時の写真を見ると僕がスライディングで倒れ込んでいるシーンが写っているけれど、僕が倒れるなんて珍しいね』と冗談を交えつつ、『その後セルタに加入して初めてイアゴ・アスパスの練習を見た時、アリツ・ロペス・ガライから「おい、この子は本当にすごいぞ」と言われて、自分もまったく同感だった』と才能の衝撃を語ります。
イアゴ・アスパスのキャリアにおける最大の転機となったのは、後に就任したパコ・エレーラ監督によるトップ下からセンターフォワード(FW)へのコンバートでした。
ブストスは『パコ・エレーラ監督が完璧な鍵を見つけ出し、彼をゴールを量産するマシンへと覚醒させた。綺麗なプレーを見せるだけでなくエリア内で高い決定力を発揮できると納得させ、持ち前のセンスやアシスト能力を損なうことなく得点感覚を開花させた』と分析しています。💡
ミチュも『イアゴは常にボールに触れてプレーに関与していたいタイプで、ボールが来ないと退屈してしまう性格だったけれど、ストライカーへの転向によって世界トップクラスのストライカーたちと肩を並べる存在になった』と証言します。その後、1年後のアラベス戦での伝説的な2ゴールによる降格回避、1部昇格、そしてヨーロッパの舞台へとクラブを導く偉大な伝説が築かれていくことになりました。(via SPORT)
