15年ぶりのラシン戦とペドロ・ムニティス!レアル・マドリード「恐怖の条項」誕生の歴史的背景
明日行われるラシン・サンタンデール戦は、2011年9月(0-0引き分け)以来、実に15年ぶりとなるLALIGAでの公式戦再会となります。1929年3月10日のリーグ初対戦(1-3でマドリー勝利)以来、ヘントやサンティジャーナといった数々の伝説的プレーヤーによって結ばれてきた両クラブの歴史の中で、特に異彩を放つのが元スペイン代表FWペドロ・ムニティスにまつわる「恐怖の条項(cláusula del miedo)」の誕生ドラマです。📜⚽️
2000年夏、フロレンティーノ・ペレスが会長に就任する直前の管理委員会(ピリ技術部長とデル・ボスケ監督の承認)によって22億ペセタ(約1,300万ユーロ)でマドリーへ加入したムニティスは、出番に恵まれず2002-03シーズンの移籍市場最終日にラシンへレンタル移籍しました。マドリーが年俸の70%を負担し、ムニティス自身も36万ユーロを減額して実現した移籍でした。そして2002年10月19日の対戦時、無敗を誇っていたマドリーに対し、ムニティスはイケル・カシージャスの頭上を抜く華麗なループシュートで決定的な2点目を奪うと、ユニフォームを脱ぎ捨てて熱狂的な歓喜パフォーマンスを披露しました。
試合前にデル・ボスケ監督が『自身が過去にレンタルされた時のように出場を辞退すべきだった』と語り、試合後にも『最悪の試合をした』と吐露した通り、この強烈な“恩返し弾”はマドリー幹部の逆鱗に触れました。その後、モリエンテスやエトーといった他クラブへのレンタル・元所属選手によるゴール被害が相次いだことで、マドリーは自クラブからレンタル移籍している選手がLALIGAの直接対決に出場することを契約上禁止する「恐怖の条項」を正式に導入することになりました。この規定は2019年8月まで長年にわたり維持され、スペインフットボール界の移籍ビジネスに大きな影響を与えました。(via MARCA)