マーク・プビル栄光への歩みとアトレティコ移籍への熱い想い
マーク・プビルの父イグナシ・プビルが、マークの幼少期からアトレティコ・マドリードへの移籍に至るまでの感動的な軌跡を明かしました。
マークは家族の愛情に囲まれ、常にボールを相棒にして育ちました。ゲーム機には興味を示さず、広場での即興の試合や時間を忘れた泥だらけのプレーを愛した少年でした。5歳の頃、兄ナチョを追うようにサッカーを始めましたが、あまりの小ささに練習中に力尽き、母親の膝の上で眠り込んでしまうこともあったといいます。
彼が6歳で地元のチームに入ることになった際、父イグナシは『彼の母親がサッカーチームに登録すると言ったとき、こんなに不器用な子がサッカーなんてやって何ができるんだ、と言いました。でも、初めて彼のプレーを見たとき、何か他とは違う特別なものを感じたのです』と振り返ります。マークは試合の理解の仕方が他とは全く異なり、その並外れたエネルギーはすぐに周囲を魅了しました。
成長したマークは質問を絶やさず、食事やフィジカル管理に自ら徹底して気を配るなど、驚くほど成熟した精神を持っていました。熱意が強すぎるあまり、コーチ陣が過負荷を抑えるためにトレーニング量を調整するほどでした。
しかし、カデテ(ユースの一カテゴリー)時代には深刻なスランプを経験します。練習で何一つうまくいかず、自分を見失っていた彼に対し、父は『落ち着いて幸せを感じているときのお前は特別だ。世界最高のディフェンダーの一人になれる。だが、まずは自分を信じ直さなければならない』と力強く励ましました。エスパニョールでの活躍によりバルサやレアル・マドリードから注目されたものの、一転して誰からも求められなくなる過酷な暗黒期もありました。パンデミア(コロナ禍)期間中には、次の所属先となったレバンテに移籍する前に自主トレーニングをするため、マレサのグラウンドに忍び込み、警察から逃げ回ったこともあったといいます。
そんな彼の最大の転機は、2024年のパリオリンピックでの金メダル獲得でした。水上競技にゆかりの深い家族にとって五輪は至高の舞台であり、父は『オリンピックチャンピオンは永遠だ』と今でも大会中のお守りの服を大切に保管しています。
アトレティコへの移籍やチャンピオンズリーグ出場という夢を叶えたマークですが、彼の究極の目標はワールドカップの舞台に立つことです。家族は『マーク、ワールドカップを持ち帰ってくれ』と冗談交じりに激励し、彼のさらなる飛躍を固く信じています。(via SPORT)
