歴史が紡ぐマラガ戦の記憶!1950年にチームを救った伝説のDFクレメンテが生涯で一度だけ決めた劇的弾
今夜のマラガ戦を前に、両クラブの古い歴史を振り返ると、1950年2月12日にベルナベウ(当時はチャマルティン)で行われた伝説的な一戦が思い起こされます。
当時、マドリーは4試合勝ちなし、前週のアトレティコ・マドリード戦で1対5と大敗するなど、深刻な危機に瀕していました。ミスター・キーピング監督率いるチームは、あの高名なリカルド・サモラ氏が監督を務めるマラガを相手に大苦戦を強いられ、試合終了わずか5分前まで1対1の同点で、スタジアムにはサポーターの抗議と重苦しい雰囲気が渦巻いていました。
その時、モロウニーが蹴ったフリーキックを、屈強な守備で知られるセンターバックのクレメンテ・フェルナンデスが泥臭くネットへ押し込んだのです。クレメンテは後に『ボールが飛んでくるのが見えた瞬間、迷うことなく足を振り抜いたんだ』とその瞬間を振り返りましたが、一方でマラガのキーパー、セサレオ・ロペスは『シュートの前に、パヒーニョからアランウへの明らかなファウルがあった』と激しく抗議しました。
結局ゴールは認められ、マドリーが劇的な勝利を収めました。驚くべきことに、このゴールは、クレメンテがマドリーで過ごした11シーズン、通算213試合(公式戦144試合)の中で決めた「生涯唯一のゴール」だったのです。
1919年11月23日にマドリーの貧しい地域( Paseo de Extremadura )に生まれ、週25センチモのペセタを出し合って友人たちとクラブ( Unión de Amigos del Deporte )を作ってサッカーを始めたクレメンテは、22歳でマドリーと契約(当時の契約金は5000ペセタ)。荒々しい守備が当たり前だった時代に、卓越したボールコントロールと後方からのゲームメイク能力に秀でた「時代を先取りしたエレガントなDF」でした。マドリーではコパを2回、コパ・エバ・ドゥアルテを1回獲得し、退団後はデポルティーボでもプレー。マドリー所属時代にはスペイン代表としても3試合に出場しました。
1996年7月17日に亡くなったクレメンテですが、彼の生涯唯一のゴールというロマンあふれる記録は、今もマラガ戦の歴史の1ページとして深く刻まれています。彼の妻であるマリ・テレさんは生前、『夫はめったに怒らない温厚な人だったけれど、昼寝を起こされた時だけは本気で怒ったものよ』という可愛らしいエピソードを残しています。
(via MARCA)
【本日の総括】
過密日程と7人もの主力の離脱という試練の中、今夜のマラガ戦は新戦力ククレジャの初スタメンやリュディガーの今季初出場が確実視されています。因縁のライバル相手に、ベルナベウの不敗神話を維持して8月を全勝で終えることができるか、モウリーニョ監督の手腕に大きな注目が集まります。