AEKアテネとレアル・マドリードの因縁の歴史とギリシャサッカーの熱狂
レアル・マドリードとAEKアテネの間には、40年以上にわたる密接でドラマチックな歴史が存在します。歴史をさかのぼると、1985-86シーズンのUEFAカップ1回戦で、レアル・マドリードはアテネの地でAEKに0-1で敗れる波乱を経験しました。当時、会長に就任したばかりだったラモン・メンドサ体制の初陣であり、スパイとして現地に赴いたアマンシオ元監督は『アテネの観客はライオンのようだ。ファンティズムに溢れた雰囲気に選手たちが後押しされている』と警告を発していました。👑🏛️
1985年9月18日に行われたその試合では、AEKのDFステリオス・マノラス(2018年にASローマの選手としてバルセロナを沈める伝説のゴールを決めたコスタス・マノラスの実叔父)のパスからパパイオアヌーが得点し、レアル・マドリードを撃破。しかし、チャマルティン(サンティアゴ・ベルナベウ)で行われたセカンドレグでは、ウーゴ・サンチェスの美しいアクロバティックなチレーナ(オーバーヘッドシュート)などでレアルが5-0と圧倒的な大勝を収め、その勢いのまま大会2連覇へと突き進みました。🏟️✨
また、ジョゼ・モウリーニョ監督の第1期(2010年)において、最初に下部組織からトップチームにデビューさせたカンテラーノである「ガルゴ・デ・ボアディージャ」ことユアンカル(ホアン・カルロス・ペレス・ロペス)氏が最新インタビューで当時とギリシャの熱狂を振り返りました。2010年のデポルティーボ戦でディ・マリアに代わって背番号26でデビューしたユアンカル氏は、モウリーニョ監督について次のように語っています。『ジョゼ・モウリーニョはジャーナリスト以外の全員から深く愛されていた。報道陣と衝突していたのは、すべて選手たちを外部の圧力から守るためだった。彼の名前と存在感だけで選手からのリスペクトを集めていた』。🎙️🤍
今年夏に怪我のため現役を引退し、ギリシャのパナシナイコスなどでプレー経験を持つユアンカル氏は、アテネでの敵地について『ギリシャのサッカー熱は異常なほど熱狂的だ。私自身、ダービーマッチで近くで爆竹が炸裂し、一時的に聴力を失う恐ろしい体験をしたほどだ。AEKの新しいスタジアムもとてつもない雰囲気になるだろう』と警戒を呼びかけました。また、かつて一緒にプレーしたサミ・ケディラ氏が現在モウリーニョ監督のコーチングスタッフとしてベンチに入っていることについても『当時は想像もしていなかったが、昇格したての私をとても助けてくれた素晴らしい人物だ』と喜びを明かしています。 (via MARCA / SPORT)