用具係マノリン・オルテガの退任
レアル・マドリードの歴史を裏から支え続けた用具係、マノリン・オルテガ・バエナとホルヘがクラブを去った。ダニ・セバージョスがマノリンのトレードマークであった「おさげ」をハサミで切り落とすという闘牛士の引退のようなジェスチャーで、彼の38年間にわたるマドリードでのキャリアに終止符を打った。
マノリンは1988年、サンティアゴ・ベルナベウの照明の電球を替えていた祖父に連れられて、エスメラルダやエンリケと共にレアル・マドリードにやってきた。伝説のフラメンコ歌手マノロ・カラコルの孫である彼は、それをレッテルとしてではなく、名誉のメダルとして誇りに思っていた。キンタ・デル・ブイトレの時代から銀河系軍団、そして9回のチャンピオンズリーグ制覇という激動の時代をすべて見届けてきた。毎晩ユニフォームを丁寧に畳み、選手たちをサポートし続けた彼は、あらゆる世代の選手から深く愛されていた。バルデベバスでは選手たちによる花道が作られ、記念の盾が贈られるなど、温かい愛情で送り出された。もう彼がボールやコーンを片付けることはなく、アントニオ・リュディガーからの愛情ある平手打ちを受けることもないが、彼が残した「名誉の掟」は芝生の上に永遠に刻まれるだろう。家族全員でクラブに仕えるという、クラブがEBITDA(金利・税金・償却前利益)だけで測られる前の、昔ながらの古き良きレアル・マドリードの時代が、彼と共に見事な幕引きを迎えた。(via MARCA)
伝説的OBたちの微妙な立場
フロレンティーノ・ペレス会長の選挙勝利は、対立候補のエンリケ・リケルメのプロジェクトを支持していたレアル・マドリードの伝説的OBたちに気まずい状況をもたらした。ラウール・ゴンサレス、フェルナンド・イエロ、イケル・カシージャス、ビセンテ・デル・ボスケといった面々は、リケルメの陣営でそれぞれスポーツディレクターやカンテラ責任者などの要職に就く予定だった。近年、ペレス体制下ではクラブの権力構造において彼らの存在感は薄れており、彼らにとってリケルメのプロジェクトはクラブの表舞台へ復帰するための絶好の機会だった。
しかし、彼らは公の場ではリケルメ支持を明確に表明せず、目立った活動を行わなかった。これはペレス会長の絶大な権力を恐れたためか、あるいは敗北時のリスクを回避するための意図的な戦略だったと見られている。結果としてペレス会長が再選されたことで、彼らのクラブ内での将来には暗雲が立ち込めている。特にラウールは、スポーツディレクター候補としてユルゲン・クロップの招聘交渉まで行っていたとされる。クロップ自身はSNSで、コーヒーカップに地球儀を入れた帽子を指差し『私がどこへ行くか当ててみて。ワールドカップへ行くよ』と冗談を飛ばし、マドリード行きの噂を笑い飛ばした。ラウールは今後、クラブ内での居場所を失い、外部のクラブで監督としてのキャリアを歩み始めるジレンマに直面している。リケルメ自身はマドリードに定住し、継続的に反対派として活動していくことを検討している。(via SPORT)
(via ElDesmarque)
【本日の総括】
フロレンティーノ・ペレス会長が再選を果たすも、アルベロア監督を即刻解任し、1500万ユーロを投じてモウリーニョを13年ぶりに復帰させるという激震が走った一日。エミレーツ航空およびアディダスとの超大型契約で潤沢な資金を確保し、フリアン・アルバレスへ1億5000万ユーロのメガオファーを敢行するもアトレティコに一蹴され嘲笑の的に。一方、モウリーニョはシュロッターベックやカラフィオーリ、メンデス派のポルトガル人選手たちの獲得を要求。ヴィニシウスの不満リスクやブラヒム放出の噂、さらにリケルメ陣営を支持したラウールらOBの微妙な立場や内部情報漏洩者の捜索など、マドリードはピッチ内外で嵐の様相を呈している。