ルイス・ミージャのコモ移籍とヘタフェへの感謝

ルイス・ミージャはヘタフェからイタリアのコモへの移籍を果たし、来シーズンはチャンピオンズリーグの舞台で戦うことになった。彼の父親であり、指導者でもあるルイス・ミージャ・アスパスは、息子のヘタフェでの4年間について言及している。『ルイスはヘタフェで4年間過ごし、クラブや監督と共に大きく成長し、とても楽しんでいた。彼はヘタフェの対応や、退団時の素晴らしい管理の仕方に非常に感謝している。彼は幸せで、とても満足して去り、今は新たな経験に向かっている』と述べた。

さらに父親は、『彼は31歳だがキャリアで最高の時期にあり、チャンピオンズリーグに出場するチームでプレーするに値する。チェスク・ファブレガス監督が彼を本当に欲しがり、賭けてくれた。他にも興味を示したクラブはあったが、彼にとってスポーツ面や契約面で最も良い条件だったコモを選んだ』と移籍の背景を語った。

イタリアでの適応については、『彼は年齢的にも成熟しており、英語もイタリア語も問題ない。ただ、国やサッカーの文化が違うため適応は必要だが、ハコボ・ラモンやニコ・パス、アルバロ・モラタといったスペイン人選手やスペイン人の監督がいることが大きな助けになるだろう』と期待を寄せている。また、スペイン代表入りの可能性については『中盤は競争が非常に激しい。もし彼が他の国の出身だったら、70〜80%の国で問題なく代表でプレーできただろう』と実力を高く評価した。サウジアラビアでの引退の可能性については『それは本人のモチベーションや状況次第なので彼に聞いてほしい』と締めくくっている。 (via Estadio Deportivo)

ボルハ・マジョラル、ヘタフェでの最終年と怪我からの復活劇

ボルハ・マジョラルはヘタフェでの最終年を迎え、過去2シーズンの怪我で失った主役の座を取り戻すことを目指している。2024年にトロフェオ・サラを受賞し、スペイン人トップスコアラーに輝いたまさにその年、3月2日のラス・パルマス戦で半月板を断裂し、出場が有力視されていたユーロを欠場する悲劇に見舞われた。

彼は回復が遅れた時期を振り返り、『フランスやイギリス、スペイン中の多くの医師の意見に頭がおかしくなりそうだった。再手術を提案されたが膝に痛みはなく、クラブに許可をもらってクリスマスにセゴビアのソトサルボスという小さな村へ一人で行ったことで全てが変わった』と語る。そこで高性能アスリートと働いてきた生理学者のヘスス・アルバレスと出会い、薬に頼らない自然な治療法に取り組んだ。

『忘れ去られたような村で過ごし、正しいと思っていた習慣を変え、まだ改善の余地があることを理解した。1月にチームに復帰し、ラス・パルマス戦で勝利して降格圏を脱出した。素晴らしい1ヶ月だった』と復活の裏側を明かしている。もし怪我をしていなければ、『ユーロには行けていただろう。27歳という年齢は、息子が1歳になり、サッカー面でも個人的にも最高の瞬間を生きていた』と悔しさもにじませた。 (via MARCA)

マジョラルが語る怪我の苦悩とSNSでの批判、メンタルヘルス

長引く怪我の期間中、マジョラルは精神的にも大きな苦痛を味わった。『人生には多くの悲劇があり、これは仕事の一部だが、本当に辛かった。怪我をしていることを、まるでプレーしたくないかのように批判する人もいた。そういうメッセージが届いて傷つくのでTwitterを辞めた。本当に苦しい日々だった』と吐露している。

また、サッカー界におけるメンタルヘルスについては、『以前ほどタブーではなくなりつつあるが、ロッカールームで公に話すことは少ない。僕はコーチや心理学者と働き、ツールを学び、自分をコントロールする方法を学んだ。SNSは正しく使うか、専門家に任せるべきだ』と自身の経験を語る。

さらに、『パルラで朝6時に起きて好きではない仕事をしている友人を見ると、自分がいかに恵まれているかを思い出す。選手は好きなことをして大金を稼いでいるのだから』と、地元の友人たちの存在が精神的な支えになっていることを明かした。 (via MARCA)

1型糖尿病との付き合いと身体ケアへの意識改革

4歳から1型糖尿病を患っているマジョラルは、怪我をきっかけに身体ケアの意識を大きく変えた。『最も重要なのは血糖値のコントロール。どんなに良いトレーナーと練習しても、血糖値が良くなければ機能しない』と語る。彼は生理学者のヘススとの取り組みを通じて、食事やトレーニング、回復の考え方を根本から見直した。

『抗炎症作用のある食品を取り入れ、薬に頼らないようにし、日々の習慣に重きを置くようになった。以前はマルコス・ジョレンテを参考にして動物性タンパク質を減らしていた時期もあったが、自分の膝の炎症には合っていないと気づいた。万人に合う方法はない』と説明する。また、『1日中体を動かし、屋外で過ごし、起きてすぐに体を活性化させ、寒冷療法や回復のルーティンなど小さな詳細に気を使っている』と現在の取り組みを語る。

さらに、自身の経験を活かし、『将来は協会を立ち上げて、糖尿病の子供たちを助けたい。プロのサッカー選手になれることを見せて勇気づけたい。糖尿病は制限ではなく、コントロールと良い食事、運動が必要なだけだ』と今後の目標も掲げている。 (via MARCA)

マジョラルが語るボルダラス監督の指導法と歴代監督からの学び

ヘタフェのホセ・ボルダラス監督の指導法について、マジョラルはかつて指導を受けたジョゼ・モウリーニョ監督と比較して語っている。『モウリーニョとボルダラスはかなり似ている。トレーニングのやり方や強い個性が似ている。ただ、ボルダラスは体重管理や日常の詳細に関してさらに厳しい部分もある。モウリーニョの練習は45分から1時間と短いが、常にボールを使い激しく楽しいものだった。ボルダラスの練習はより長く、楽しむよりも苦しむことが多いこともあるが、それぞれのやり方がある』と両者の特徴を分析する。

モウリーニョに関しては『彼は負けず嫌いで、ロッカールームで僕やチームメイトに対して好きではないコメントをしたこともあった。人への敬意は優先されるべきだ』と苦言も呈しつつ、『僕の仕事を評価してくれたし、親しみやすい面もあった』と振り返る。

また、もし自分が監督になったら、『モウリーニョとボルダラスからは選手への要求を、パコ・ロペスからはボールを持つ好みを、フォンセカからは戦術を組み合わせた監督になりたい』と、歴代の指導者から学んだエッセンスを統合したいという意欲を見せた。 (via MARCA, Mundo Deportivo)

マジョラルの原点とレアル・マドリード時代のエピソード

パルラのフエンテベジャ地区出身で、父親は肉屋、母親は主婦という謙虚な家庭で育ったマジョラル。彼はいまだにパルラのサッカー選手として知られていることを誇りに思っており、『地に足をつけていられるのは両親のおかげだ。ラミネ・ヤマルのように若くして大金と名声を得る状況を管理するのは簡単ではない』と家族への感謝を口にする。サッカー選手としての幸せについては、『もちろん勝つことやサラ賞の時のように称賛されることも幸せだが、一番は家族やパルラの友人たちとプールに入ったりバーベキューをして過ごす時間だ』と語る。

また、11年前にU-19欧州選手権で得点王になり、その直後にレアル・マドリードのトップチームでデビューした当時を振り返り、『ジダン監督がヘセなどではなく自分を起用してくれたことに常に感謝している』と述べる。さらに、『僕はとても好奇心が旺盛で、クリスティアーノ・ロナウドやセルヒオ・ラモス、ルーカス・バスケスが練習後にジムでケアする姿を観察し、朝食やルーティンについて質問攻めにして学んでいた』と、トップスターたちから自己管理の姿勢を吸収したエピソードも明かした。 (via MARCA)

【本日の総括】

ヘタフェの主力として活躍したルイス・ミージャがクラブへの感謝を胸にイタリアへ旅立った一方、エースのボルハ・マジョラルは度重なる怪我と苦悩を乗り越え、自身の肉体と向き合いながらヘタフェでの最終年に懸ける強い決意を見せています。