クラブの偉大なるレガシー!レジェンドのピリが振り返る「セウタの少年時代」と激動のキャリア

レアル・マドリードで16シーズンにわたりプレーし、クラブに計り知れないレガシーを遺したレジェンド、ピリことホセ・マルティネス・サンチェスが、自らの原点とキャリアを語りました。

1945年に北アフリカのスペイン領セウタで生まれた彼は、第二次世界大戦が終結したばかりの混乱期に、多文化コミュニティであるハドゥ地区(サン・ホセ)で育ちました。ピリは『子供時代の思い出は本当に素晴らしい。そこには大規模なイスラム教徒のコミュニティがあり、一緒に学校に通ったが、何のトラブルも一度も起きたことはなかった。素晴らしい隣人としての共存があった』と振り返り、同級生だったモハメドというイスラム教徒の少年は『生涯で最高の親友の一人になった』と明かしました。

もともとサッカー選手になるつもりはなく、「建築家」になるのが夢だったため、18歳でグラナダに移住して大学で建築学を学び始めました。そこでかつてセウタ時代の知り合いだったペペ・ミラン氏から、怪我人続出で崩壊していたグラナダCFの練習への参加を打診され、それを承諾して学業と並行してプレーを開始。その急成長ぶりがマドリーの目に留まり、1964年にわずか19歳で憧れのパコ・ジェントのいるマドリーへ加入。ジェントを『人としても選手としても生涯完璧なリファレンス』と仰ぎながらプレーし、1966年には「イェイェ・マドリー(Yé-yé)」の一員として、パルチザンを2-1で破りクラブ6度目のチャンピオンズカップ制覇に貢献しました。

1980年までマドリーで16年間戦い、1982年にメキシコのプエブラで現役引退。しかしピリのレガシーはここで終わりませんでした。かねてから学問が大好きだった彼は、現役時代に一度断念していた「医学」の大学課程を引退後に修了。医師免許を取得してマドリーのチームドクターとしてクラブへ復帰したのです。その後、クラブのテクニカルディレクター、さらにはスポーツディレクターを歴任するという、サッカー界でも極めて稀有な「レジェンド選手・チームドクター・スポーツディレクター」をすべて同一クラブで全うする偉業を成し遂げました。

(via Estadio Deportivo)

【本日の総括】

マドリーはベティスに1-0で敗北し、モウリーニョ体制下で初の黒星を喫するという厳しい夜を過ごしました。決定力不足やPK失敗、さらには審判の判定を巡る論争が残る中、3日後にはCLのインテル・ミラン戦という大一番が迫っています。出場停止や怪我人により中盤が完全に崩壊している危機的状況を、指揮官はどう乗り越えるのか。今夏のカンテラ売却ビジネスで驚異の資金調達力を証明したクラブは、ピッチ上での真の試練に直面しています。