フリアン・カレロ前監督の動向
来季ラ・リーガ・ハイパーモーション(2部)を戦うレアル・オビエドは、新たなプロジェクトの指揮官としてフリアン・カレロを招聘した。カレロは2025-26シーズンの前半戦、プリメーラ・ディビシオン(1部)に所属していたレバンテを指揮していたものの、成績不振によりシーズン途中で解任されていた。来季はアストゥリアスの地で新たな挑戦をスタートさせることになる。(via SPORT)
アラン・マトゥーロの去就
昨シーズン、イタリアのジェノアからのレンタル移籍でレバンテでプレーした21歳のウルグアイ人左利きセンターバック、アラン・マトゥーロが、1部復帰を目指すマジョルカの補強候補としてリストアップされている。マジョルカはマルティン・デミチェリス監督が急遽ライプツィヒへ引き抜かれ、ルイス・ガルシア新監督のもとでチーム編成を再構築しているが、パブロ・オルテルスSDが主導する補強リストの中にマトゥーロの名前は残されている。マトゥーロは2028年までジェノアと契約を結んでおり、獲得した場合は2部リーグで許可されている2つの非EU枠の1つを占めることになる。(via SPORT)
クラブの歴史的エピソード
ワールドカップの歴史上初めてレッドカードを提示された選手は、かつてレバンテでプレーしたチリ代表FWカルロス・ウンベルト・カセリーである。1974年の西ドイツW杯、西ドイツ代表との試合の後半22分、相手DFベルティ・フォクツから激しいタックルを受けたカセリーは、立ち上がって報復のキックを見舞い、主審から退場処分を宣告された。
カセリーは後年、当時の状況について『フォクツは私に13回も蹴りを入れてきた。後で試合の映像を見て数えたから間違いない。それなのに彼には一切お咎めがなかった。私は最初のファウルで退場させられた。すべてが非常に奇妙だった』と不満を漏らしつつも、『あのレッドカードのおかげで、私はギネスブックに載った唯一のチリ人だ』とユーモアを交えて振り返っている。
カセリーは母国のコロコロから1973年に当時2部に所属していたレバンテに加入した。しかし、チームはそのシーズンに降格の憂き目に遭い、彼は1974年のW杯を「3部リーグの選手」としてプレーすることになった。その後エスパニョールへ移籍し、自身のことを「サッカー界には支配人と労働者がいる。私は点を取るから支配人だ」と称したことから『支配人(gerente)』という愛称で親しまれた。(via SPORT)
【本日の総括】
トップチームの現役選手に関する直接的な新着ニュースはないものの、昨季前半までチームを率いたカレロ前監督の新天地決定や、昨季レンタルで在籍したマトゥーロのマジョルカへの移籍の噂が浮上しています。また、1970年代に在籍したカセリーがW杯史上初のレッドカードを受けた歴史的エピソードも語られました。