ジョアン・ガンペール練習場の新ジム建設の進捗

バルセロナは、選手たちのパフォーマンスの維持と、昨シーズンに多くの主力(アラウホやガビ)を襲った大怪我のリスクを劇的に軽減するため、練習場「シウダ・エスポルティバ・ジョアン・ガンペール」のメインピッチ(チト・ビラノバ)の脇に、最新の超大型ジム施設を建設する工事を進めており、その本館の基礎および鉄骨の梁・屋根の敷設を今週完全に完了させました。

この新施設は、ピッチと壁が全面防弾ガラスでシームレスに接続されたモダンな構造となっており、選手たちがピッチでの戦術トレーニングから一切の移動時間を失うことなく、シームレスに「力(ウェイトトレーニング)」や理学療法士を交えた「リカバリーセッション」へと移行できる、欧州最高峰のトレーニング環境を提供します。デコSDはこの先の第2段階として、一軍の選手たちが練習場でそのまま夜間の睡眠や食事の完璧な管理を行えるよう、最新のラグジュアリーな「選手専用レジデンス」の建設も極秘裏に計画しています。 (via SPORT)

マルク・カサドとエクトル・フォートの去就問題

バルセロナは、ハンス・フリック監督の今季の戦術構想から完全に外れ、一軍の練習場でもグループセッションから完全に隔離されて個別での調整を強いられている22歳のミッドフィルダー、マルク・カサドの売却交渉を急ピッチで進めています。

カサドは2028年まで契約を残しており、1億ユーロという多額の違約金が設定されています。現在、サウジアラビアのアル・ヒラルおよびアル・アハリの2つのクラブが、バルサの要求する「3000万から4000万ユーロ」という巨額のキャッシュを全額一括で支払う公式打診を提示。

バルサのフロントオフィスはこの巨額の売却益を喉から手が出るほど切望していますが、カサド本人が『私の優先順位はヨーロッパの最高峰のコンペティションで戦うことだ』としてアラビア行きを拒絶。カサドの代理人であるジョルジュ・メンデス氏が欧州内で彼をレンタル(買取オプション付き)で獲得できる適切なクラブ(ポルトガルやイタリアなど)を模索しており、移籍期限までのタフな説得交渉が続いています。

もう一人のカンテラの有望株、19歳のアタッカーであるエクトル・フォートについても、ハンジ・フリック監督の戦術モデルに適応できていない現状を受け、本人がドイツの名門ボルシア・ドルトムントへの完全移籍を強く直訴。フォートはすでにイタリアのローマや国内のレアル・ソシエダからの非常に好条件のオファーを自ら拒絶し、ドルトムントの聖地「黄色い壁」のピッチに立つことだけを夢見て、クラブ間の交渉成立を待ち望んでいます。フォートの市場価値は1500万ユーロに設定されています。 (via SPORT / Mundo Deportivo)

ラミン・ヤマルの独占インタビュー

バルセロナの至宝であり、今夏に10代にして世界中を完全に魅了し、ワールドカップ決勝において19歳にして世界王者の頂点に登り詰めたラミン・ヤマルは、Diario ASのロングインタビューに応じ、自身の劇的な環境の変化や、自らの生まれ故郷であるマタローのロカフォンダ地区への不滅の愛情、および富を巡る賢明な自身のマインドをこのように語りました。

ヤマルは小学校時代をマタローの労働者階級が住むロカフォンダ地区のペレアントン校で過ごし、授業の一環としてトロンボーンの演奏を好んで学んでいましたが、16歳でのプロデビュー後はすべてが急変。学業とプロキャリアの両立について、次のように本音を語っています。

『ある日、私は母親に、学校には行くけれど、授業は何も聞かずに、午後のバルサの練習のためだけに体力と集中力を温存すると告げました。母は私の言うことが理解できず、毎日のように烈火のごとく怒り狂っていました。プロデビューしたその日の朝ですら、母は私に、まず何よりも学校に行きなさいと叱りつけていました。最後には、これが私の人生のすべてを懸けた壮大な夢であることを理解し、静かに抱きしめて応援してくれました』。

ヤマルはその後、ラ・マシアの特別チューターによる遠隔指導や、EURO2024の最中にもノートと教科書を抱えてホテルの部屋で深夜まで勉強し、義務教育(ESO)を無事に完全修了しました。

しかし、急激な環境の変化は、彼の心に複雑な影を落としていました。

『私は最初はグラノリェースで勉強していましたが、その後、ラ・マシアから通う内部の学校に転校しました。1年目は順調でしたが、2年目は、マタローとは異なる、自分とは全く違う社会階層(富裕層)の人々の中に身を置くことにどうしても馴染めず、授業から心が離れてしまいました。私は、自分の近所の人々やパン屋、肉屋の主人がいるような、シンプルで飾らない環境が一番落ち着くのです。

私の母親が私のためにしてくれた過酷な犠牲、および父親がしてくれた数々の努力は、自分自身の子供のためでなければ、他の誰かのためにできるようなことではない。私はその記憶を絶対に忘れないし、だからこそ、子供の頃に貧しくて買えなかったり、やりたくても我慢せざるを得なかったすべての夢を、今すべて実現して人生を深く楽しむつもりだ。路地裏のストリートで培ったハングリー精神こそが、ピッチの上で大きなプレッシャーに直面したとき、私を世界で最も獰猛な選手にしてくれる最大の武器なのだ』。 (via SPORT)