フリック監督のクラシコ前夜会見とゲルト・ミュラーへの郷愁
クラシコ前日の記者会見に臨んだハンジ・フリック監督は、マドリー側が繰り広げる審判への圧力やメディアの狂騒を一蹴した。『自分のチームだけに集中したい。新聞の見出しになるような発言をするつもりはない。重要なのは明日の試合そのものだ』と冷静に語り、一切の挑発に乗らない姿勢を貫いた。
相手のエムバペ対策については『ボールがある時もそうでない時も、正しいポジショニングを取ることが不可欠だ。ハイラインを維持し、相手のボール保持者に激しくプレッシャーをかけていく。パウ・クバルシとジェラール・マルティンは驚異的な成長を見せている』と若手DF陣への全幅の信頼を口にした。
また、ドイツの雑誌『51』の過去インタビューにおいて、フリック監督は自身の原点であるゲルト・ミュラーへの憧れを語っている。幼少期、バイエルンファンのハンジ・フリックはミュラー役に、ボルシアMGファンの兄はハインケス役になりきり、庭のピッチで長年の得点王争いを再現していたという。
後にバイエルンの若手選手となったハンジ・フリックは、憧れのミュラーとテニスで対戦する機会を得たが『全力で挑んだが一度も勝てなかった』と懐かしんだ。さらに監督としてバイエルンでリーグ優勝を決めた直後、カルル=ハインツ・ルンメニゲCEOがグラス2つのシャンパンを持って部屋を訪れ乾杯してくれた思い出を振り返り、クラブへの深い愛着を語っていた。(via SPORT)
ボビー・ロブソン時代のアシスタントコーチ・モウリーニョ秘話
今夜対峙するジョゼ・モウリーニョ監督だが、1990年代後半にバルセロナで過ごした時代の秘蔵エピソードが話題を呼んでいる。ボビー・ロブソン監督のアシスタントとして着任した当時、彼は嫌っていた「通訳(el traductor)」という蔑称ではなく、自ら進んで「チコ・マルティーニ(Chico Martini)」という愛称で親しまれていた。
ジョゼ・モウリーニョは最初からタダ者ではなかった。ロブソンの会見でただ言葉を訳すだけでなく、自らの意見を付け加えたり記者と議論してボスを擁護したため、クラブから「通訳の枠を超えないように」と注意を受けるほどだった。ゴルフ好きのロブソンから練習の指揮を委ねられることも多く、選手たちはジョゼ・モウリーニョを実質的な監督として信頼していた。
元名手ストイチコフは『彼がピッチ上で全てを仕切っていた。私たちの本当の監督であり大親友だった』と明かしており、ロブソンが発する1分間のチャットを15秒に要約して選手に伝える天才的なコミュニケーション能力を発揮していた。1996年に加入したクリスティアーノ・ロナウド(ブラジル)とも特別な絆を結び、スター選手の心をつかむ術を熟知していた。
当時のジョゼ・モウリーニョはシッチェスに居を構え、友人との食事では静かに周りを観察する沈黙の男だった。バルサのユニフォームを着せた2人の子供と街を散歩したり、水上バイクに興じるなど、現在の激しいキャラクターとは対照的な一面を見せていた。(via SPORT)