伝説の庭師ライモン・フェレールの引退と聖域「エル・ラコネット」の物語
シウダ・デ・バレンシアの庭師として38年間もの間、完璧なピッチ状態を維持するために休むことなく働いてきたライモン・フェレールが引退を迎えます。しかし、彼が長年の献身によって築き上げた愛するクラブとの永遠の絆は終わることはありません。特に資金が乏しかった90年代においても、彼は常にレバンテが前進できるよう尽力し続けました。
彼はその本業である庭師としての仕事以上に、スタジアム内に自らの手で無償で築き上げた「エル・ラコネット」の設計者として広く知られています。限られた人しか足を踏み入れることができないこの空間について、彼は『私の仕事よりもエル・ラコネットを作ったことで知られていますが、全てはレバンテの一部なのです』と語っています。
現代サッカーの変化について、ライモンは寂しさを感じています。『以前はみんなで昼食に出かけていましたが、今はみんなパソコンの前でサンドイッチを食べています。全てが変わりました』とし、『サッカーは少し変わりました。昔は選手や監督がグラウンドキーパーともっと身近な存在でした。距離ができたというわけではありませんが、今のサッカーチームはコーチ陣、医療スタッフ、用具係、選手、代表者だけで構成され、オフィススタッフや庭師の存在感がありません。非人間的になったとは言いませんが、例えば昔はエル・ラコネットに入らない選手はレバンテの選手とは言えませんでした。しかし、私が表彰された5月8日のオサスナ戦の日に部屋に入ってきたある選手は、すでに1年もクラブに在籍していたにもかかわらず、エル・ラコネットの存在すら知らなかったのです』と語りました。
引退後は気楽に過ごす予定のライモンですが、エル・ラコネットの世話をどうなるか気に掛けています。『どうなるかはわかりませんが、世話を続けさせてほしいと願っています。週に一度でも構いません。見に行くことは私にとっての義務になるでしょう。あそこにいれば悲しみも消え去りますから』と心境を明かしました。
エル・ラコネットの成り立ちについて、彼は『意味もなく、新聞の切り抜き4枚、シャツ2枚、いくつかの思い出の品で小屋を作り始めた』のがきっかけだったと振り返ります。今や彼のアイデンティティを反映した博物館となったこの場所について、『全てがごちゃ混ぜになっていますが、説明書きがあるような博物館は好きではありません。もし私が画家なら抽象画家でしょう。それが私の個性であり、反逆の証です。どこを見ればいいかわからない空間です。これを作るのは本当に大変なことなのです』と語りました。
この場所はマノロ・プレシアードの時代に用具室に壁を作り始めたことから始まりました。プレシーズンの前にフェリックス、オリアス、ジョフレが来てパエリアを作りたいと言ったのがきっかけで、その後もパエリア作りが続き、試合前に理事会が食事をする即席のレストランにもなりました。さらに2006年にシウダ・デ・バレンシアで公演を行った伝説のミュージシャン、ブルース・スプリングスティーンも、ライモンが作ったパエリアを味わったという逸話があります。
エル・ラコネットは過去に2度の火災に見舞われ、3部や2部B時代の素晴らしいペナントなど多くの貴重な品々を失いました。しかし、その都度再建されてきました。『レバンテファンであることは私たちをタフで強くしてくれます。タオルを投げたり諦めたりすることは決してありません。私たちはあるべき姿でいるのです』とライモンは誇りを持って語ります。
サッカーがない時でも逃げ場となるこの場所は、彼にとっての聖域です。『ここには説明しがたい平和があります。教会のように、何か違うものを感じるのです。ここにいるととても元気が出ます。選手や友人が本音を話しに来て、ここで問題が解決したこともありました。アラベス戦の後にはここでたくさん泣きました。私だけでなく、多くの人がここで涙を流したのです』と、エル・ラコネットが持つ無形の価値について語りました。 (via SPORT)