プリチャード・コロンが33歳で逝去、10年以上の闘病とボクシング界への偉大な遺産
🥊 2015年10月17日、アメリカ・バージニア州フェアファックスで行われたタレル・ウィリアムズとの一戦において、16勝0敗12KOという無敗の輝かしい戦績を提げてリングに上がったプエルトリコの若きスターボクサー、プリチャード・コロン。しかしこの試合中、相手のウィリアムズから後頭部への極めて危険で違法な打撃(ラビットパンチ / rabbit punches)を何度も執拗に受け続けた結果、コロンは試合後に激しい嘔吐を催して倒れ、昏睡状態に陥りました。診断は硬膜下血腫による脳への回復不能な致命的損傷という、あまりにも凄惨な現実でした。
それから10年以上の長きにわたり、コロンは車椅子での生活を余儀なくされ、言葉を失い、自らの意思を身体で表現することすら困難な状況にありました。彼の母親であるニエベス・メレンデスは、自宅において24時間付きっきりで息子の排泄、食事、そしてリハビリのすべてを献身的に介護し続け、わずかな改善の兆候を求めて家族一丸となって戦い続けてきました。
しかし、8月14日の朝、そのあまりにも過酷な闘病生活に終止符が打たれました。彼の父親であるリチャード・コロンが、自身のFacebookアカウントにおいて、プリチャードが33歳の若さでこの世を去ったことを告げる悲痛な投稿を行いました。
『おはよう、みなさん。私の愛する息子プリチャードが、この現世の身体から旅立ったことをここにお伝えせざるを得ず、本当に胸が張り裂ける思いです。今、彼はここよりもはるかに素晴らしい、苦痛のない世界へと旅立ちました。息子が心から強く望んでいた、故郷プエルトリコへバカンスに連れて行くという彼の夢、そして願いを叶えるために、私は父親としてできる限りのすべての努力を尽くしました。これまでの長きにわたる、世界中からの温かい愛と祈りに心から感謝します。どうかこれからの私たちのために、引き続きお祈りをお願いいたします』
コロンのこの悲劇的な事故は、当時のボクシング界に計り知れない衝撃を与え、安全対策の根本的な見直しを促しました。事故からわずか1年後、世界ボクシング評議会(WBC)は、後頭部への打撃を厳密に取り締まり、警告なしで減点や即時失格を科すことができる「プリチャード・コロン・ルール」を正式に設立。さらに2021年6月には、彼が少年時代から夢に描き続けていたグリーンとゴールドの「WBC名誉世界チャンピオンベルト」が贈呈され、コロンの枕元にその輝かしい栄誉が添えられていました。 (via Mundo Deportivo)
陸上選手ヘスス・ダビド・デルガドとイネス・ロペス、欧州選手権で見せた明暗とこれからの覚悟
🏃♂️ 陸上欧州選手権のトラックとフィールドにおいて、スペイン代表の2人の若きアスリートが、それぞれ対照的な試練と挑戦に直面しました。
男子400mハードル決勝に進出したカナリア諸島出身のヘスス・ダビド・デルガド(通称エル・フラコ)は、絶対的な王者カーステン・ワーホルムが46秒63という驚異的な大会新記録で圧勝した異次元のレースにおいて、48秒66を記録して6位でフィニッシュしました。レース後、彼は自身の走りを冷静に振り返りながら、悔しさをにじませました。
『今日の競技場は非常に風が強く吹いており、自分が事前に計画していたハードル間の歩幅のrhythm(歩数管理)が正しかったかどうかは、今でも分からない。自分の限界に挑戦するために、スタートから積極的にリスクを負って走ろうとしたが、結果としてすべてが自分の思い描いていた通りにスムーズに進んだわけではなかった。今回の結果には、少し悔しさが残っている』
一方で、女子円盤投げ決勝に臨んだマドリード出身のイネス・ロペスにとっては、ほろ苦い挫折の夜となりました。彼女は決勝の舞台において、3回の試技で50.11m、53.13m、56.59mという低調な記録にとどまり、12人中12位の最下位で大会を終えました。ロペスは2日前に行われた予選において、自己ベストに迫る61.45mの極めて素晴らしいスローを見せて決勝へと進出していただけに、本来の実力を発揮しきれなかったショックは隠せませんでした。
ロペスは、北京五輪のファイナリストである名指導者フランク・カサニャス氏のもとで育ち、2023年からはアメリカのアリゾナ州立大学を拠点にトレーニングを積んでいる、2025年欧州U23選手権のメダリストです。予選通過時には『2回目の投擲は感触が良かったが、自分にはまだもっと遠くへ飛ばせる実力が確実にある』と、自信に満ちた言葉を残していた彼女。今回の決勝での手痛い教訓を胸に、世界のトップへ這い上がるための更なる厳しいトレーニングへと戻っていきます。 (via MARCA)