ダブル達成から30周年

1995-96シーズンのリーガ・エスパニョーラとコパ・デル・レイの「ダブル」達成から30年が経過しました。セゴビアで開催された国際スポーツフォーラム(FID)に、当時のキャプテンであるロベルト・ソロサバル、ミリンコ・パンティッチ、ロベルト・フレスネドソ、ホセ・ルイス・ペレス・カミネロが集結し、当時の思い出を振り返りました。前年は奇跡的に降格を免れたチームが、すべてを勝ち取った伝説のシーズンです。

ヘスス・ヒル会長は優勝を祝して『首都で記憶に残る史上最大のパーティーをする』と約束しました。フレスネドソは『そしてヒルは本当にそれをやった。馬がいて、アスカール・モレノ、ケタマ、ピンピネラ、サビナまでいた。ヒルは人生で最も信じられないようなお祝いをすると約束し、それを果たした』と語ります。マドリード中心部で行われた5時間に及ぶパレードには、ネプトゥーノ広場に5万人以上が集まり、ヒル会長は愛馬インペリオソにまたがって登場しました。

ソロサバルはチームの強さの秘訣について『私たちは一つの塊だった。ピッチ上での三銃士の叫び「一人は皆のために、皆は一人のために」だ』と明かしました。一方、パンティッチはコパ決勝バルセロナ戦での決勝ヘディングゴールについて『ヘディングでシュートするのは怖くてやったことがなかった。私はヘリにクロスを上げる方が好きだった』と笑いながら回顧。このゴール以降、ビセンテ・カルデロン(現在はメトロポリターノ)のコーナーフラッグにマルガリータ・ルエンゴさんがカーネーションを置く伝統が始まりました。パンティッチは『私は7500万ペセタかかったが、無価値だった。新聞でさえ私の名前を間違え、パディッチと呼んでいた』と当時の苦労も語っています。

また、フレスネドソは翌年のプレシーズンでディエゴ・シメオネと同室になった際のエピソードを披露。『ロス・アンヘレス・デ・サン・ラファエルでのシエスタの時間に、シメオネはドアを叩いて「ここでは誰も寝るな!」と叫んでいた。テレビの画面に向かって叫び、プレーのたびにどう動くべきか指示を出していた。私はただシエスタを取りたかったのに。30年後、彼はアトレティコを率いて、世界で最も権威のある監督の一人になった』と懐かしみました。

(via AS)