[FCバルセロナ] 地元のバルの店主や最初の指導者が明かすラミン・ヤマルの決断と知られざる極貧時代の支え
FCバルセロナの超新星ラミン・ヤマルが生まれ育ったマタローのロカフェンダ地区にて、幼少期の彼を近くで見守ってきた地元住民や最初の指導者たちが、その原点と知られざる舞台裏を明かしました。
幼少期のラミン・ヤマルは、街の路地や広場で常にボールを蹴っている少年でした。ピッチ外では非常に控えめで礼儀正しく、年齢以上に落ち着いた少年でしたが、2009-2010シーズンに地元のクラブ「CFラ・トレータ」に入部すると、その才能は一瞬で周囲を驚かせました。200人ほどが通うスクールの中で際立った存在感を放ち、わずか2-3試合で年上のカテゴリーへと飛び級昇格を果たしました。
宿敵RCDエスパニョールも獲得に動き入団テストと協定を準備していましたが、バルサのスカウトであるイスイドレ・ヒル氏はテストなしでの獲得を即決しました。クラブ事務所で移籍の話し合いが行われた際、母親のシェイラさんがラミン・ヤマルの手を握り、コーディネーターのファンマ氏が『ラミン、君はバルサとエスパニョール、どちらに行きたいんだ?』と問いかけると、ラミン・ヤマルは母親を見上げて『僕はバルサに行きたい』と即答し、バルサ入りが決まりました。
ラミン・ヤマルの成長の陰には、家族の壮絶な苦労と地域の温かい支えがありました。当時、父親はバルサの練習場へ通わせるための電車代にも事欠く状態でした。地元のバル『El Cordobés』の店主は『コーヒー代は払わなくていいから、このお金で子供を電車に乗せて練習へ連れて行きなさい』と手助けを続けました。
また、ラミン・ヤマルがスペイン代表を選択した際には、父親が一部のモロッコ系住民から強い批判や誹謗中傷に晒されましたが、『息子は必ずバルサで大成する』と信じて耐え抜きました。ラミン・ヤマルが初めてスペインA代表に招集された日、父親は感極まって涙を流し、バルの店主に『息子が署名しに来るからお店に飾ってくれ』と代表ユニフォームを手渡しました。(via SPORT)