90年代の苦難から黄金期までを見守った名物デレガード!カルロス・ペレス氏の就任秘話とオラシオ・ゴメス会長との『ビール代理店対決』
📜 カルロス・ペレス氏がセルタのデレガードに就任した経緯は、非常にユニークなものでした。24年間にわたり審判を務めた後、審判技術委員会のメンバーへ移っていた同氏に対し、ガリシアサッカー連盟の書記であったティノ・デ・ジャノ氏の葬儀の場で突然オファーが舞い込んだのです。当時、セルタのデレガード職は役員たちが交代で担当していましたが、遠征のたびに都合がつく役員とつかない役員が出て苦労していました。そこで専務・支配人であったアンヘリネス・サントス氏や取締役のチェマ・フィゲロア氏から『遠征のたびに役員の都合が変わって大変なんだ。君がデレガードを引き受けてくれないか』と打診され、受託を決意しました。
当時のクラブ内部では、前任者を追放したホセ・ルイス・アレホ・アルバレス「ピリス」氏(先週末に惜しまれつつ逝去)をはじめ、エロイ・デ・フランシスコ氏、イグナシオ・ヌニェス氏、オラシオ・ゴメス氏、そしてカルロス・モウリーニョ氏といった歴代会長たちがクラブの舵を取っていました。中でもオラシオ・ゴメス会長とは、実に微笑ましいライバル関係がありました。オラシオ会長がビールブランド「Mahou(マホウ)」の代理店を営んでいたのに対し、カルロス・ペレス氏はライバルブランド「Estrella Galicia(エストレージャ・ガリシア)」の営業代表を務めていたのです。
💼 その後、オラシオ会長はカルロス・ペレス氏の手腕を買ってクラブの商業ディレクター(営業部長)としても引き抜きました。2006年にカルロス・モウリーニョ体制が発足したタイミングで早期退職するまで活躍することになりますが、当時のゼネラルマネージャーであったアルフレド・ロドリゲス氏からは『営業の仕事に専念するため、デレガードは辞めてくれ』と要請されました。
しかし、現場への愛が深かったカルロス・ペレス氏は『冗談を言わないでくれ。デレガードこそが自分が最も得意とし、熟知している仕事なんだ』と強く主張して譲りませんでした。結局、同氏は営業部長とデレガードの二足のわらじを履き続け、2002年にコベロ氏へバトンタッチするまで見事に両立を果たしました。セグンダ時代(マグレイ監督)の苦闘、チェチュ・ロホ監督での1部昇格、カストロ・サントス監督での辛くも掴み取った残留劇、イルレタ監督での欧州カップ戦出場権獲得、ペペ・カルデロンでのコパ・デル・レイ決勝の敗戦など、波乱万丈な90年代のドラマをすべて内側から支え続けたのです。(via SPORT)