ディオマンデ獲得の全貌:クラブ史上最高額の移籍金と波乱に満ちた生い立ち

マドリードは、RBライプツィヒからコートジボワール代表FWヤン・ディオマンデを1億2500万ユーロ(固定)+1500万ユーロ(変動)の総額1億4000万ユーロ、2033年までの7年契約という、クラブ史上最高額かつ現メンバー最長の契約で獲得しました。この移籍金の変動部分については、1000万ユーロが達成しやすい容易な条件、残り500万ユーロが高難度の条件に設定されています。現在19歳のディオマンデのキャリアは、信じられないほどの紆余曲折に満ちています。かつてアメリカの無名アカデミーからスタートし、MLSのリザーブチームやボーンマス、チェルシー、レンジャーズ、オリンピアコス、そしてクリスタル・パレスの入団テストで相次いで不合格を突きつけられました。パレスの練習後にはマイケル・オリーズ(当時マドリードの右ウイング第一候補)やエゼから『おい、君は本当に素晴らしい選手だ』と声をかけられたものの、ビザ失効のためにアフリカへ送還され、姉のロクサーヌと涙を流しました。その後レガネスに拾われてプロデビューを果たし、偶然にもその対戦相手がマドリードでした(交代出場後にロドリゴやバルベルデに立ち向かい、アセンシオにペナルティを阻止された伝説的なデビュー戦)。しかし、デビューのわずか数週間後、15歳の姉ロクサーヌがパーティーで何者かに毒を盛られて急死するという悲劇に見舞われます。彼はその後、エスパニョール戦での初ゴールを涙ながらに姉に捧げました。彼は姉との思い出を綴った手紙で、『覚えているかい、Unitedの偽物のレプリカユニフォームを買ってもらい、黒のマジックで「Ronaldo 7」と背中に書いたことを。私たちが裕福だったか貧しかったかは分からなかった。ただ幸せだけを知っていた』と回想し、姉から『エムバペ?確かに彼は良い選手だ。でも私の弟の方が優れている』と比較されていたことを明かしています。その後、約2000万ユーロの解除条項を支払ったライプツィヒへ移籍し、ブンデスリーガで13ゴール9アシスト(別の報道では33試合28先発で12ゴール8アシスト)を記録。ワールドカップでは、ラミン・ヤマルに次ぐ大会2位のドリブル成功数を記録し、市場価値を150万ユーロから9000万ユーロまで高めました。モウリーニョ監督は右ウイングのスペシャリスト(ガレス・ベイル以来)として期待を寄せており、ハンガリー遠征には帯同させず、バルデベバスのジムやピッチで個別調整を実施させ、スピードと狭い局面でのボールコントロールの向上に注力させています。なお、バルサのロドリ獲得交渉に対抗するため、メディカルチェック(金曜日にホスピタル・ブルア・サニタス・バルデベバスで受診)の前の木曜日16時に電撃的に獲得が公式発表されました。 (via ElDesmarque)

ヴィニシウスの契約延長:2032年までの超大型契約と残留交渉の裏側

木曜日、ヴィニシウス・ジュニオールが2032年までの6年間の契約延長(2032年6月30日まで)に合意したことが公式発表されました。1年半にわたる交渉は平行線をたどっており、代理人のフレデリコ・ペナとロック・ネイションは、アーセナルからの巨額オファーの関心を盾に、マドリードとの交渉を有利に進めました。マドリード側は当初「忠誠ボーナス」の支払いを絶対に認めない姿勢を崩しませんでしたが、ヴィニシウス側は契約を全うしてフリーで退団する可能性をチラつかせ、最終的にクラブが譲歩。年俸2400万ユーロ(一部報道では2500万ユーロ)のネット保障に加え、肖像権の70%を選手側に譲渡することで決着しました。この交渉には、ジョゼ・モウリーニョ監督の直接的な介入がありました。指揮官はヴィニシウスの売却に絶対反対し、キリアン・エムバペとの共存が可能であることをフロントに力説しました。ヴィニシウスはモウリーニョ監督にアンチェロッティのような父親像を見出しています。かつて2026年2月のベンフィカ戦(マドリードがヴィニシウスのゴールで勝利)の後、当時相手監督だったモウリーニョはヴィニシウスがベンフィカのプレスティアンニから受けた差別的暴言に対し、11分間の抗議でスタジアムの6万人の観衆と対峙した態度を『ヴィニシウスは彼とエムバペにしか決められないゴールを決めた』『彼は異次元の選手で、大好きだ』と称賛しつつも、公に批判した過去があります。今夏の最初の練習で、指揮官は彼に対し『いつも通り、幸せで、陽気で、自分のフットボールをしてほしい』と伝えました。ヴィニシウスは自身のSNSに『ベルナベウでの8年間はとても短かった。あと6年、そして永遠に!』、さらに『みんな愛している。ファン、プレシ(フロレンティーノ・ペレス)、モウリーニョ、ジュニ(カラファト)、ホセ・アンヘル(サンチェス)、選手たち、そしてクラブの全員に感謝します』と書き込み、喜びを表しました。彼はマドリードで375試合128ゴール14タイトルを達成し、2024年のFIFAザ・ベスト、インターコンチネンタルカップのゴールデンボールなどの数々の個人賞を獲得しています。 (via SPORT)