ペドリが明かす情熱のルーツ!亡き祖父の壮絶なマドリード拒否車椅子事件とメガネのセレブレーション誕生秘話
バルサの中盤の柱であり、世界王者のペドリが、自身のフットボールへの情熱の源となった家族、特に亡き祖父フェルナンドとの感動的な思い出を詳しく明かしました。
ペドリの祖父は、カナリア諸島で最大のバルサファンクラブ(ペーニャ)である「タスカ・フェルナンド」のオーナーであり、狂信的とも言えるほどの熱いバルササポーターでした。その情熱は常軌を逸しており、レアル・マドリードを宿敵として極度に嫌い、死んでもあの街(マドリード)には絶対に足を踏み入れないと公言していました。
ある日、バルセロナへの旅行から戻る際、搭乗した飛行機がマドリードで途中降機することになりました。乗客全員が一度機外へ出なければならない状況でしたが、祖父は断固として拒否。最終的に客室乗務員に対し、車椅子に乗って移動するならば「自分の足でマドリードの土を踏んだことにならないから不吉ではない」と主張し、車椅子に乗せられて移動することに同意したという伝説的なエピソードが残っています。
また、1991−92シーズンのラ・リーガ最終節、レアル・マドリードが敗れ、バルサが劇的な逆転優勝を決めたテネリフェ対マドリードの試合の瞬間、当時60歳だった祖父は興奮のあまりスタジアムを全速力で駆け抜け、マドリードファンの前で大喜びしました。
ペドリが幼い頃に祖父は亡くなりましたが、その情熱と、バルサのネクタイ、そしてレストラン「タスカ」は今も家族に受け継がれています。ペドリは、カナリア人特有の冷静さ、プレッシャーを感じずにピッチで遊ぶように楽しむスタイルはすべて祖父や家族から譲り受けたものだと信じています。
13歳の時にレアル・マドリードの入団テストに挑んだものの不合格となり、失意のまま島へ帰った時、父親から『心配するな、じいちゃんがマドリードのユニフォームを着てプレーするのを許すはずがないからな』と温かいジョークで励まされたことが大きな力になりました。
その後、ついに憧れのバルサからの連絡が入った時、ペドリはタクシーで練習場に乗り込み、ゲートで『こんにちは、ペドリです。練習に来ました』と告げました。更衣室のドアを開けると、そこには目の前にリオネル・メッシが立っており、メッシが笑顔でリラックスするように声をかけてくれました。当初、ペドリとトリンコンは恐れ多さからジムでストレッチをするフリをして先輩たちのいるロッカーに入るのを避けていましたが、メッシが『ここで何をしているんだ?こっちに座れよ』と引き入れてくれたエピソードも。
ペドリがゴールを決めた際、両手を眼鏡の形にして顔に当てるお馴染みのパフォーマンスは、ファンクラブのレストランの壁に飾られていた、映画スターのような古いスタイルを好んだ祖父のサングラスがモチーフになっています。『みんなが双眼鏡だと思っているあのポーズは、実は祖父のサングラスをかけて、彼への敬意を表しているんだ』と本人がその秘密を語りました。
スペイン代表として世界を制覇し、マドリードで200万人の大パレードが行われた日、ペドリは『あの歴史的な日だけは、じいちゃんも自らの誓いを破ってマドリードの街に駆けつけ、僕たちと一緒に冷えたワインを飲みながら大喜びしてくれたはずだ』と確信しています。(via SPORT)