ラミン・ヤマルがスペイン代表を選んだ知られざる舞台裏
2026年ワールドカップでスペイン代表を優勝に導き、19歳にして世界の頂点に立ったラミン・ヤマル。今や世界中がその才能を認める至宝ですが、彼がスペイン代表のユニフォームを身にまとう決断を下すまでには、国境を越えた激しい争奪戦と、家族を巻き込んだドラマがありました。
スペインフットボール連盟の元育成コーディネーターであるフランシス・エルナンデスは、二重国籍を持つ多くの移民系選手たちの動向を常に監視していました。世代ごとに約200名、総勢125名にのぼる候補者を綿密に分析する中で浮上したのが、当時カンテラに所属していたヤマルでした。
元スポーツディレクターのアルベルト・ルケが明かしたところによると、ヤマルの獲得交渉は一筋縄ではいかない極めて複雑なものだったといいます。
モロッコ側は本気でした。モロッコ代表の監督が直々にスペインへ赴いて本人を熱心に口説き、さらにはモロッコ政府までもが国を挙げてヤマルを自国代表に引き入れようと接触を図ってきたのです。
さらに、ルケは交渉の難しさをこう振り返っています。
『特に父親のムニルを説得するのは非常に困難を極めた』
一方で、母親のシェイラ・エバナとの対話は少し異なっていました。彼女は単なる感情論ではなく、母親としての現実的な懸念をルケたちにぶつけてきました。
『あなた方は、この子が本当に今すぐA代表で通用する実力があると考えているのですか? それとも、ただモロッコ代表に取られたくないから囲い込もうとしているだけなのですか?』
この問いに対し、スペイン連盟側は『私たちは彼がすでに大人の代表で戦う準備ができていると確信している』と熱意をもって答えました。
最終的な決断は、他でもないヤマル本人が下しました。彼は周囲からの激しい圧力に晒されながらも、ルケに対してはっきりと自分の意志を伝えたのです。
『僕はスペイン代表としてヨーロッパチャンピオンになりたい。四方八方からものすごいプレッシャーをかけられているけれど、僕はスペインのためにプレーしたいんだ』
この強い覚悟が、今日のワールドカップ王者の誕生へと繋がっていました。 (via SPORT)