レアル・マドリード公式が新加入イブラヒマ・コナテの素顔を明かすクイズ動画を公開

今夏、イングランドのリバプールから移籍金なしのフリーでレアル・マドリードに加入し、2030年までの長期契約を結んだフランス代表DFイブラヒマ・コナテの、ピッチ上での屈強な姿とは180度異なるユニークな「素顔」をファンに広く知ってもらうため、クラブの公式デジタルメディアが、コナテのプライベートを暴くユニークな一問一答クイズ形式のプロモーション動画をSNS上に公開し、世界中のマドリーディスタたちの間で話題となっています。

動画の中で、コナテは終始満面のチャーミングな笑顔を浮かべながら、自身のちょっとした好みの音楽、愛する食べ物の話、サッカーをしていない時に家でどのようにリラックスして過ごしているかなど、ファンがこれまで知ることのできなかった非常にパーソナルで親しみやすいキャラクターを次々と披露し、新たな人気者としての地位を早くも確立しつつあります。(via MARCA)

映画監督ロブ・ライナー夫妻刺殺容疑で起訴された息子ニックと家族の哀悼

映画『スタンド・バイ・ミー』などの名作を生み出してきた世界的な映画監督ロブ・ライナー氏と、その妻ミシェル・シンガー・ライナー氏が、ロサンゼルスの自宅において無残な刺殺体で発見された事件から8ヶ月。

ロサンゼルス地方検察のナサン・ホックマン検事は、事件のあった夜に付近で身柄を拘束されていた彼らの32歳の息子、ニック・ライナー(Nick Reiner)を、大陪審の決定に基づき、第一級殺人容疑で正式に刑事起訴したことを発表しました。

有罪判決を下された場合、ニックが仮釈放の権利が与えられない終身刑、または死刑に科される可能性が極めて濃厚です。

ニックは水曜日に裁判所に出廷しましたが、自身の無罪を主張。裁判官は保釈金を一切設定しないまま、ニックの刑務所内での拘留を維持する決定を下しました。

事件が発生した2025年12月14日の前夜、亡くなったロブ監督とニックは、テレビ司会者コナン・オブライエン氏が自宅で主催していたプライベートなクリスマスパーティーに2人揃って出席していましたが、その最中に、親子間で激しい口論を繰り広げていた姿が、複数の有力な証言として記録されています。

この悲劇に対し、ライナー家の他の子供たちであるジェイクとロミーは沈黙を守ってきましたが、ジェイクは自身のSNSにおいて、グリーフケアの専門家であるデヴィッド・ケスラー氏のパーソナルなセラピーの助けを借りることでこの悲しみを生き抜いていることを明かし、亡き両親へ向けて以下のような哀悼の長文を綴りました。

『あの日、私のこれまでの美しい世界、両親と過ごしたすべての温かい時間は、一瞬にして完全に瓦解し、跡形もなく消え去ってしまった。これから私に訪れるであろう結婚式の日に、父親が私の横に立って祝福してくれることも、両親がいつか生まれてくるかもしれない自分たちの孫の顔を抱いて笑顔を見せることも、もう一生叶うことはない。このあまりにも残酷な喪失は、私の魂を永遠に削り取り続ける。しかし、私は今、ただ両親が私に与えてくれた素晴らしい無数の愛と、彼らとともに素晴らしい日々を共有することができた特権的な日々の記憶に対して、静かに、深い感謝を捧げることだけで、この地獄のような日々を一歩ずつ前に進んでいる』(via Mundo Deportivo)

シャビ・エルナンデスが語るエルナンデス家の狂気的なバルサ愛と自身の原点

オランダ代表チームの指揮官に就任することが公式に発表されたシャビ・エルナンデス氏が、かつてテラーサの家庭で過ごした自身の幼少期と、家族全員が宿していた「常軌を逸したバルサへの愛」について語りました。

シャビが育ったエルナンデス・クレウス家において、バルサというクラブは単なるサッカーの趣味を超え、家族の会話のすべて、人生の価値観そのものを規定する絶対的な哲学でした。特にシャビに最大のクレ精神を叩き込んだのが、祖父のジョアキム(Joaquim)氏です。シャビは祖父について、以下のように明かしていました。

『私の偉大な祖父は、もしバルサの熱狂的なサポーターでない人間が目の前にいれば、その人が誰であれ、生涯にわたって口をきくことを完全に拒否するという、本当の意味で過激で、本物の情熱を持った男だった。記者の君がもしバルサのファンでないなら、私の祖父は君のことを無視し続けて、君は最悪な時間を過ごすことになっていただろうね。私の母のマリアも非常に熱狂的なサポーターだったが、唯一、サバデルなどでプロ選手として冷静に活躍した経験を持つ父のクイムだけは、常に一歩引いた客観的な視点から、私にパスの美しさとポゼッション技術の尊さを教えてくれた』

また、シャビは自身の技術の原点について以下のように振り返っています。

『私の最初のサッカーの記憶は、わずか4歳の時にテラーサの学校の校庭で、1つのボールと小さなスパイクを手に入れた瞬間から始まっている。11歳でラ・マシアに入り、シュスターや、後に監督となるペップ・グアルディオラという偉大な指導者たちに出会ったけれど、私のすべての基本技術は、子供の頃にテラーサのプログレス広場の街角で、2対2のミニゲームをしながら、公園のベンチや公衆電話のボックスを壁に見立てて、ワンツーの壁パスを泥まみれになりながら繰り返していたストリートフットボールの日々から、すべてが生み出されているんだ。誰が私よりもバルサを愛しているか、と聞かれたなら、私はためらうことなく「ガスパール氏」と、および私が生きている限り、あの「私の祖父ジョアキム」の2人だけだと答えるよ』(via SPORT)