ロドリが個別調整を継続
アスレティック戦でデビューを飾ったロドリですが、現在はジムを中心とした個別メニューでの調整を続けています。W杯優勝からの合流が遅かったため、フリック監督やメディカルスタッフは過度な負荷を避けることを最優先とし、じっくりとコンディションを上げさせています。月曜日のラージョ・バジェカーノ戦には招集される見込みですが、先発ではなくベンチからのスタートが濃厚です。
ロドリを17歳当時にアトレティコの下部組織で指導したアルマンド・デ・ラ・モレーナは、教え子の素顔について語りました。
『彼が17歳の当時、将来これほどのタイトルを勝ち取る選手になるとは誰も予想できなかった。しかし、当時から非常に戦術眼が優れており、ボールを受ける前から次にどこへパスを出すべきか、どのスペースを占有すべきかを完全に理解していた。当時は今のような前線への推進力や得点力はなかったが、試合をコントロールする力は突出していた。彼は非常に規律正しい生活を送っており、大学の学業も決して疎かにしなかった。人柄としても、仲間を思いやる素晴らしい謙虚な少年だった』
さらにバルサへの適合についても熱い太鼓判を押しています。
『彼はピッチ上のポジションにおいて間違いなく世界最高の選手。ペップ・グアルディオラのもとで長年学び、ラ・マシアの遺伝子を完全に宿している。ペドリらバルサの素晴らしい中盤の選手たちと完璧に噛み合い、チームをさらに高いレベルへと押し上げるだろう』(via SPORT)
主将ハフィーニャが語る壮絶な極貧の幼少期
今シーズン、チームの「第1キャプテン」に指名された29歳のハフィーニャが、ブラジルのポルトアレグレの貧困地区「レスティンガ」で育った壮絶な過去を告白しました。
ハフィーニャは幼少期、信じられないほどの過酷な極貧生活を送っていました。
『12歳から14歳の頃は、練習の後に食べるものが何もなく、通りで通りすがりの人々に食べ物をねだることもあった。中にはあからさまに怠け者と罵倒してくる人もいた。練習から帰るバスを待つ間、8時間から9時間も何も食べずに過ごすことも日常茶飯事だった』
また、彼の生まれ育った地区は麻薬や犯罪の誘惑に満ちており、多くの仲間たちがその闇に引きずり込まれました。
『あの地域で育ちながら、真っ直ぐにサッカーに集中し続けるのは本当に困難だ。私は犯罪によって多くの大切な友人を失った。その中には、私よりも10倍もサッカーが上手かった友人もいた。私がその邪悪な道に逸れなかったのは、学校にしっかりと通わせ、間違った道に進むのを徹底して阻止してくれた家族の強い支えがあったからだ』
音楽が彼の「リラックスするための薬」であり、練習前や試合前には必ず聴いていると語るハフィーニャ。彼はリーズなどで活躍した後、バルサへの移籍を勝ち取りました。
『私の憧れのスターたちはみんなバルサでプレーしていた。ここでプレーするのが私の最大の夢であり、そのためにあらゆる努力と犠牲を払ってきた。今、キャプテンとしてこのエンブレムを背負えることを誇りに思う』(via SPORT)