19歳のラミン・ヤマルを育んだ生まれ故郷ロカフォンダの変わらぬ愛と、義務教育修了を巡る母親との「烈火の如き」葛藤
19歳にして世界中のサポーターを完全に魅了し、ワールドカップ決勝において頂点に登り詰めたラミン・ヤマルは、今も自身のルーツであるマタローの労働者階級が暮らす「ロカフォンダ地区」への強い愛と絆を大切にし続けています。
ロカフォンダ住民会の代表であるロシオ・エスカンデル氏は、彼の成功が街にもたらした計り知れない影響について次のように感謝の気持ちを語りました。
『ロカフォンダは非常に謙虚な街であり、懸命に前に進もうとする人々が暮らす場所です。彼の成功は若者たちにとって本当にポジティブなメッセージであり、素晴らしいお手本になっている』
ヤマルは小学校時代をマタローのペレアントン校で過ごし、音楽プロジェクトの一環としてトロンボーンの演奏を好んで学んでいましたが、バルサ加入当初(2014年)、エスパニョールからも熱烈なオファー(イノセンテ・ディエス氏は『エスパニョールが彼を熱望していた』と証言)を受けていた中で、最終的にバルサのラ・マシアを選択しました。現在も彼の叔父であるアブドゥル氏は、子供たちがサッカーに興じる広場のすぐ隣でパン屋を営んでおり、店内にはラミンの思い出の品や誇らしげな軌跡が美しく展示されています。
しかし、急激な環境の変化と、ピッチ上でのあまりに早い成功は、かつて義務教育(ESO)を修了するまでの期間、実家において母親との深刻な衝突を生み出していました。ヤマル自身、当時の家庭での緊迫したやり取りをこのように告白しています。
『ある日、私は母親に、学校には行くけれど、授業は何も聞かずに、午後のバルサの練習のためだけに体力と集中力を温存すると告げました。母は私の言うことが理解できず、毎日のように烈火のごとく怒り狂っていました。プロデビューしたその日の朝ですら、母は私に、まず何よりも学校に行きなさいと叱りつけていました。最後には、これが私の人生のすべてを懸けた壮大な夢であることを理解し、静かに抱きしめて応援してくれました』
ヤマルはその後、ラ・マシアの特別チューターたちの献身的な遠隔指導や、EURO最中にも教科書を抱えて勉強を重ね、見事に義務教育を修了しました。
(via SPORT)